こころ、意識、生命とは?

「自分の生命とは、それが生み出す意識と心とは、何処から生まれ何処に去っていくのだろう」 そんな誰もが持つ疑問の解明の一助に役立てていただければ幸いです。

 

意識の解明は自分自身に有る意識を前提として始める必要があります

 

意識とは何かを考えるとき、自分自身が自身の意識を感じている以外に客観的に言える事は何一つなさそうです。例えば精巧に作られたロボットに意識が存在するか、スーパーコンピューターに意識が存在するか、飼い犬に飼い猫に意識が存在するか、細菌に意識が存在するか、はたまた自分以外の人に意識が存在するか。これから先、科学がさらに発達してコンピューターとロボット技術がさらなる発展を遂げ、生きている人間とほぼ見分けがつかないロボットが出来た時にも、そのロボットに意識があると言えるかどうかは、誰も証明することはできないはずです。なぜなら人は自分以外の意識を実感(クオリア)として感じることは決して出来ないからです。

その意味では意識の謎を解いてゆく場合に唯一前提とできるのは、自分自身の意識であり、生命体である自分自身に意識があるからこそ他の生命体にも意識が宿っているだろうと考える事が出来ると言う事です。

 

自分自身の意識は何処で生じるか

 

意識が自分の中でどの様にして生じて来るのかを知る事が出来、かつ、同じプロセスが他者にも起きていたならば、他者にも意識が生じていると考える事が出来ます。

人の意識を考える場合、先ずは、体のどこに有るかを考えると思います。手や足に有るのでしょうか。肝臓、腎臓、心臓に有るのでしょうか。これらの場所は事故や病気で失っても心が無くなった人はいません。昔の人たちは心臓に、意識・こころが宿ると考えていたようですが、現在は心臓移植も数多く行われる時代になり、意識・こころが心臓にない事はほぼ明確な事実として認識されています。

現在の医学生命科学で考えられる意識が作られている場所は脳です。実際脳に何らかの障害が起きますと、意識が無くなったり脳の特定の部位を刺激したり機能を低下させたりすると心が様々な変化をすることが分かっています。喜ばせたり、怒らせたり、怯えさせたり、笑わせたり、幻覚を見せたり、幻聴を聞かせたり、過去の記憶を思い出させたり。これ以外にも脳の刺激一つで出来ることが分かっています。

 

脳での意識はどのようにして生じるか

 

脳で意識が生じる過程はこれまで世界中で多くの研究者が研究してきました。その中で私が最も納得できた理論が、マルチェロ・マッスイミーニ、ジュリオ・トノーニ、の研究による<脳の統合情報理論>です。詳しく知りたい方は、日本語訳<意識はいつうまれるのか>、をぜひ読んでいただきたいと思います。この理論は、脳で意識が発生している状態とはどのような現象なのかを詳しく研究し、得られたものです。

人体には様々な意識レベルの状態があり、例えば人が睡眠状態にある時にも意識のある状態と、ない状態が存在します。はたから見たら体を動かすこともなく、ぐっすり寝ていたら意識がないようにしか見えません。しかし、この人が夢を見ていたとしたら意識のある状態です。

実は、病的にこのような状態になる事があります。ふぐ毒で中毒を起こした場合や、延髄の損傷で体の運動神経が完全に麻痺してしまうと、この人は、他人が働きかけても全く反応出来ないため昔は意識がないものと考えられていました。しかし、現代医学では意識があることを証明できます。また意識が戻らないで植物人間とされた方でも長年の間に意識が戻る人もいます。

この様に、見た目には意識のなさそうな人を、どのようにしたら意識があると証明できるのかを研究者たちは探求して長年の研究からその方法を確立しました。その方法は、意識のある時の脳波とない時の脳波、その違いを詳しく解析することで分かってきました。見た目に昏睡状態の人がいたときに、本当はその人に意識があるのに、体からの知覚信号は遮断されていて、届かないことも多くあります。その場合、体を刺激しても脳の反応は起きません。そこで研究者たちは、脳自体を直接強力な磁気刺激装置で刺激して、脳の反応を脳波計で記録する方法をとりました。その結果、意識が生じたときの脳波は、磁気刺激を加えた時に独特の複雑な波形を長い時間に渡って示すことが分かり、脳がどのように働いている時に意識が生まれているかがわかってきました。

脳には、総合的な判断や運動をつかさどる前頭葉、全身の知覚や解釈を行う頭頂葉、聴覚や長期記憶をつかさどる側頭葉、視覚をつかさどる後頭葉、運動の調整を行う大脳基底核群と小脳、情動と記憶をつかさどる偏桃体や海馬他、様々に機能分化した組織がありますが、これらの組織はそれぞれに、さらに細かく0.5ミリ程で神経細胞が10万個ほど集まって共同作業しているコラム構造と言うものを作っています。

脳の統合情報理論によると、情報量が多ければ多いほどそれが統合された時により大きな意識が生まれているという考え方です。例えば、暗くなって部屋の明かりをつける場合に機械のセンサーライトであれば、暗くなったことに反応して即座にスイッチが入り明るくなります。この場合、機械が感じているのはある数値に表される暗くなったという情報一つだけで、ライトのスイッチが入るという結果になりますが、このとき機械に意識が生まれたとしても、それはごく小さな検出できないほどの意識でしょう。人がスイッチを入れる場合には、多くの、もしくは無限の選択肢の中から情報を統合し、明かりを点けた事になります。つまりこの人の頭の中では、『面倒だから点けないでおこう』『後で点けようかなやめようかな』『もう少し暗くなるまで待とうか』等など様々な選択肢の中から結論を出してスイッチが押されていると言う事になり、この場合の選択肢<情報の数は実は無限大>は多くの情報から選ばれたことになり、意識ある存在が選んだといえます。意識を生み出すには、大きな情報を生み出す仕組みと、その情報が一つに統合され表出されるシステムが必要です。脳という意識を生み出す存在は天文学的な情報選択肢を生み出すシステムであり、それを見事に合目的に一つの答えに統合して行くシステムを持っていると言う事です。

概略で言うと、脳は約一千億の神経細胞が存在してその一つ一つの神経細胞ニューロンは互いに数千から万に至る入力を得ています。この膨大な数の神経回路はどんなスーパーコンピューターも追いつくことは出来ません。しかもコンピューターの場合の各素子に於いては相互作用する事は出来ませんし、基本的にオンオフの二つの情報選択肢しかありませんが、脳の場合は一個のニューロンと言う素子自体が生物であり無限の選択肢を持っている上に、ニューロンそれぞれに全て個性があり、密な相互作用をしているのです。これらが膨大な回路を作って成り立つ脳は宇宙の存在すべてを把握できる能力を持っていても不思議ではないのかもしれません。

統合情報理論では統合される情報量が大きければ大きいほど、意識レベルが高いと考えますが、私は生物か無生物かは、情報量が多いか少ないかではなくて、無限か有限かの差ではないかと考えます。

 

機械<コンピュ−ター>の持つ意識と、心と言える意識を持つ生命体との違いは?

 

端的に言えば、情報量に於いて機械は有限、生命は無限と言う事です。生命体が持つ意識は無限の情報量を生み出すシステムを持つ事によって、おそらく本来意識的存在である無限の宇宙につながって生まれてくるものと考えています。

機械の場合、どんなに人に似せた精巧なロボットを作って、スーパーコンピューターを組み込んで様々な行動や受け答えをさせたとしても、原理的には単純なプログラムの積み重ねから生まれるもので、どんなに複雑に見えて莫大な数の答えを出せるようでも有限個の答えでしかありません。その意味では、ロボットの場合生じる意識は単純なもので、心と呼べるレベルの意識ではありません。どんなに精巧に作られていても、よく観察すると何処かに生命を持つものと違う不自然さを人は感じるはずです。

それに対して生命体である人の場合は、無限の答えを出せるシステムをもって生命の持つ独特のしなやかさを感じさせてくれます。

 

人が作り出す機械と自然(宇宙)が作りだす機械(意識ある生命体)の違い

 

先ず大きな違いが二つあります。一つは大きさスケールの違いです。人間の作り出す機械は、部品一つ一つが同じ分子が十の数十乗個も集まって出来た物体で、分子レベルではとてつもなく巨大なものであると言う事です。その意味では人間の作り出す機械はどんなに複雑に見えるようでも、どでかい部品の寄せ集めであり、生物と比べれば単純なものです。

化学の世界にクレオパトラの水という逸話が有ります。紀元前のエジプトのクレオパトラがコップ一杯の水を川に流したとします、その水は数千年の間に世界中の水と混じりあいます。例えばあなたが今コップ一杯の水を飲んだとして、あなたの飲んだコップ一杯の水にクレオパトラが川に流した水の分子であるH₂Oが何個含まれていると思いますか?<コップ一杯に含まれる水分子の数は6✕10の24乗個ぐらいです>答えは約500個です。広大な海の水をもって薄めてもなおこれだけの数の分子が含まれる事になります。それほど原子や分子は小さなものです。一般的に、我々が目で見て認識できる大きさの場合、含まれる分子の数は天文学的に膨大な数となると言う事です。

生命体を構成する部品は、極めて小さな分子レベルの大きさの部品で、分子一個から数百個程度のものです。このスケールの違いは物質に別次元の性質の違いを示してきます、。我々が日常的に目に見えたり触ったりして認識できるレベルの大きさの機械や部品は物質として安定して存在しているように見えますが、生命を構成している小さな分子自体が部品になった場合には、物理学で言えば量子レベルの影響が出てきます。物質は極小のレベルでは安定ではなくなり、絶えずゆらぎが生じるようになり、我々が感じ取れる現実世界での安定はそこには存在しません。そのため部品一個が分子レベルの極小になると、働きが不安定になり、神経細胞一個の内部で起こる分子レベルの膨大な数の化学反応を統合して生じる意識に於いても無数の情報を生み出せるようになります。

もう一つの大きな違いは、機械であるロボットは、人が労力を使ってくみ上げなければひとりでに組みあがることは決してありません。

それに対して生命体という機械は人の手を加える必要はありません。自然条件さえ整えば、宇宙が作りだした原子、分子の性質として自ら自然に組みあがって複雑な意識である心を持った生命体が出来るようになっています。

この事は、宇宙自体が意識的存在であると共に、原子、分子、それを構成する素粒子も意識的存在と捉えるべきかもしれません。

私は一つの化学反応にも、心とは言えないレベルの単純な意識は生じていると考えています。生物の意識と言える心は、原子分子における単純な化学反応が膨大な数起こり、統合されて一つの方向性を持ったものになっていく複雑なシステムのレベルに達した時に、相転移的に突然生じてくるものだと考えます。

 

何処に意識は宿るのか?

 

脳で意識が生まれる過程は、体や脳を国家と対比させて考えると分かり易いと思います。脳を国会としますと、意識として脳で認識できるのは、あくまでも国会で議決した結論だけで、国会に議題として取り上げられるまでに行われる、様々な機関からくる陳情や議員同士のやり取り、また国会審議等は意識に上る事はありません。脳は無意識下で多くの様々な処理を行っており、意識上に上るのはほんの氷山の一角1%程度と言われています。

脳で意識が作られる過程は、様々な感覚器官を通じてきた情報や脳に有る様々な記憶を基に、脳の素子である神経細胞と、それが約10万個集まってできているコラム構造が、それぞれ個性的な働きをし、相互に情報を活発にやり取りして、一番生存に関わるか、一番大切なものを選び出して、最終的に結論として脳全体に広がり意識上に認識出来るようになります。つまり脳は、バラバラではなく統合され、一つになった情報だけが意識に上りそれ以前の統合されていない情報の段階では意識上に上らないようになっています。ですから、麻酔や低酸素などで神経細胞は生きて働いていても全体を統合する力が衰えると意識は無くなります。

 

意識が生じる場は、多くの層構造を作っている

 

人の意識は脳で作られていると言いましたが、それは神経細胞自体が感じているのでしょうか。だとすれば、どの神経細胞が意識を感じているのでしょうか?神経細胞を一つ二つと殺して行ったとします。相当な数を殺しても意識は無くなりません。しかしあまりにも多くの神経細胞が死んでしまって脳全体の統合が失われた時に意識は無くなります。

つまり人の意識は脳という大きな場の中で生まれるものであり、脳を分解して部品である小さな神経細胞一つ一つをいくら調べてもそこに人としての意識を見つけることは出来ません。あくまでも人の意識とは約一千億個の神経細胞からなる脳を場として、脳が一体として働く場に生じるものなのです。

それでは神経細胞一つ一つに意識はないのでしょうか?神経細胞一つにも意識は有ります。ただしそれは一個の神経細胞を場として生まれ、一個の神経細胞が生きるために作り出しているもので、脳の意識とは別のものです。国会に例えるならば議員一人一人が一個の神経細胞であり、脳の意識は国会議決に伴った国家としての方針みたいなものです。この場合国家を一つの生命体と見立てて、国会という意識の生じる場に意識が生じている訳で、個々の議員意識とは別のものです。

この辺の解釈が理解しにくいところなのですが、人の意識を作り出しているのは個々の神経細胞なのですが、個々の神経細胞自体はそれぞれの場所で自分自身が生きるための意識を持っているだけです。そこに人としての意識はなくて一千億の神経細胞が統合され一つの存在となった時に脳という一つの物体に意識が宿ると言う事です。脳をバラバラに分解したならば、神経細胞がどんなに生きていても人の意識は無くなるのです。

それでは個々の神経細胞自体に意識は有るのでしょうか、私は生命体であればすべてのものに意識は存在すると考えます(拡大すればすべての存在に意識は存在する)。神経細胞の場合意識はどのようにして生じるのでしょうか、それは、一個の細胞を場として、細胞に入ってくる様々な情報を統合して細胞として生きるための選択をして生まれています。詳しいプロセスは分子生物学によって分かってきていますが一個の神経細胞にはDNAを格納している核があり、エネルギー物質ATPを作り出すミトコンドリアや解糖系酵素があり、DNA情報に基づいて細胞に必要なたんぱく質を合成するリボソーム、細胞内の不要な物質を分解し再利用するリソソーム、細胞内骨格と言える微小管、細胞外の情報を細胞内に伝える膨大な数の細胞膜受容体、また、受容体に入ってきた情報を細胞内に伝え、細胞に様々な反応を引き起こす数万種類で数十億個もある化学反応を触媒する酵素、また、酵素は細胞内で様々な相互作用を引き起こしています。一個の細胞内で起きている化学反応は膨大な数に上り、現在分かっているだけでも書ききれるものではありません。

この場合にも意識がどこにあるかと言いますと細胞内の特定の部位を示すことは出来ないのです。あくまでも統一された一個の細胞全体を場として意識が生まれている訳で決して細胞のどこかに意識があるのではないのです。

人の意識は神経細胞の相互作用が統合されて生まれ、神経細胞の意識は細胞内の酵素や膜受容体等の化学反応の相互作用が統合されて生まれ、人の作る社会である国に於いても人と人の間で密にコミュニケーションを取り合い様々な情報を統合して国家としてまとまり一つの方向に行動していく場合、そこには個々の人には感じる事が出来ない国家としての意識が生まれているはずです。

この様に単純な化学物質の反応が膨大な数統合されて細胞の意識となり、細胞同士の反応が約一千億個統合されて人の意識となり、多くの人の意識が統合されて国家社会の意識となり、国家社会の意識が統合されて世界人類の意識になり、地球上の生態系が統合された時に地球を一つの生命体として考えるガイアの意識が生まれ、更には宇宙自体が情報を統合するシステムを持っていれば宇宙自体が意識的存在といえます。私は、意識は層構造を作って存在していると考えています。

 

意識生命はそれぞれの時間スケール空間スケールをもっている

 

人間は自分自身の尺度でしか残念ながら物事を理解する事が出来ません。自分以外のものを理解しようとする場合には、新しい尺度で別な角度から見てみる必要があります。

植物に意識はあるでしょうか?私はあると思います。短い時間植物を眺めていても何も変化していないように見えます。しかし、一か月ぐらいの映像をビデオで記録して3分ぐらいで早送りしてみますと、どんどん動いて変化しているのが分ります。傷つけられても治癒したり害虫に食べられると毒性物質をつくりだしたり、出来るだけ日当たりの良い方向を探り、葉を伸ばしたり栄養物の多い方に根を伸ばしたり、子孫を残すために花を咲かせ密を作り、花粉を運んでくれる虫をおびき寄せたり、暑さ寒さ乾燥に耐えるために細胞の代謝を調節したり、生きる情報を統合した働きを絶えず行っています。植物の意識を人が認識するにはこのぐらいの時間スケールが必要です。

ミツバチの一つの巣の集団やアリの一つの巣の集団に意識は存在するのでしょうか。私は存在すると考えています。この場合時間スケールと空間スケールを広げてみる必要があります。ハチやアリも短い時間観察しただけではただ単にうじゃうじゃと動き回っているようにしか見えませんが、一つの巣に帰属するハチやアリの集団全体の動きを大きな視点で長時間観察しますと、集団が一体となって一つの生き物として働いている姿が見えてきます。ハチを例にしますが、このとき大事なことはハチの個体同士が離れているかどうかではありません、ハチ同士が相互にコミュニケーションを密にとっているかどうかです。ハチの集団はコミュニケーションを取り合い集団が一つの目的で動いていることは確かな事です。この場合にも個々のハチが持つ情報が統合されて一つになり合目的な行動に表出されていますから、巣全体が一つの意識を持った生命体と考えることが出来ます。人の脳で起きていることも、それぞれ個性を持った神経細胞が生きてコミュニケーションをとっているだけで原理的にはハチの巣と変わりはありません。

時間スケール空間スケールを変えてみれば、あらゆるものに生命と意識が見えてくるのだと考えます。人の意識は数分でわかるでしょう。植物の意識は数か月の観察で見えてくるでしょう。国家社会に意識が有るかは数百年、地球と言うガイヤに意識が有るかは数百万年、宇宙に意識が有るかは数億年の観察が必要でしょう。しかし、宇宙で起きているすべての現象を観察するには、天体望遠鏡では光ぐらいしか観測できませんし、素粒子や重力波は一部測定できるようになりましたが、それ以外にもまだまだ人類の発明した測定器では測定できない現象が宇宙空間には多くあります。その意味では人は現時点の技術では、宇宙に意識があるかどうかを観測により証明することは難しいでしょう。

 

そもそも意識とは何でしょうか

 

我々が夜空を見上げれば無数の満天の星が瞬いているのが見えます、あなたが今見ている星々は、あなたと時を同じくして輝いているのでしょうか。残念ながらあなたが見ている星は全て遠い過去の星です。現時点でその星が存在しているかについてあなたは全く知ることは出来ません。何故なら宇宙は無限に広く、一番近い星でも約四年前に発した光です。少し遠くの星では数万年前の光、さらに遠ければ数千万年前、数億年前、数十億年前、あなたが現在見ている星はそれぞれ気が遠くなるほど過去の星だと言う事です。人が日常的に認識できる感覚では捉え切れない大きさが宇宙の規模ですが、永遠の昔からこの姿であったのではありません。

人は宇宙に比べたならばあまりにも小さな存在で塵にもならない程かもしれません。しかし、大宇宙の始まりは現在の人と宇宙の大きさの差よりも大きく、宇宙の始まりは人と比べようもないほど小さく、原子よりも小さく素粒子よりも小さかったのです。究極的には何もない真空から宇宙が生まれ爆発的にどんどん拡大を続けて現在の永遠たる宇宙が生まれ生命体と意識を生み出しているのです。残念ながら人の認識できる現実の感覚ではこの事を実感する事は出来ません。また、人の意識を作り出している脳、その脳の意識を作り出している神経細胞、神経細胞の意識を作り出している分子原子の化学反応、化学反応を作り出している原子を構成する素粒子。この素粒子の段階になると、人が認識できる現実の感覚では実感として理解が不可能な現象が次々と起きています。人間が理解できる物質とは絶対的に存在しているものです。何もしなければ動かず静かに存在しているように見えます。しかし物質を構成する素粒子の場合その常識は通用しません。ある時は粒子になったり、ある時は消滅して波に変化したり、エネルギーに変化したり、絶えず運動し振動し、性質の変化を繰り返して静かにとどまることはありません。素粒子の場合その場所に素粒子が絶対的に存在すると言う事はありません。素粒子がそこに存在すると言う事は、素粒子が有る存在確率でそこに存在しているだけで、その周りにも雲のように同一の素粒子で存在確率がありますから、実際には一つの素粒子は人が観測するまでは、存在確率の雲の中に揺らいでいて、あそこにも居る、そこにも居る、ここにも居る、と無限の居場所があり無限に存在します。人が観測をした瞬間に居場所は確定し一個だけに収束しますが、2回3回と測定しますと同じ場所に存在する事は絶対ありません。千回万回測定しますと必ず雲のような存在確率で存在が現れてきます。例えばあなたが素粒子だとします。あなたが向こうから歩いてきたとしますと千人ぐらいの亡霊がいっしょに歩いてくるようなものです。ではその中でどれが本物かと言いますとすべてが本物なのですが、誰かがそれを見るまではの事です。誰かがそれを見た瞬間にそのうちの一人しか存在しなくなります、これを繰り返し何回も何回も見ると色んな所にあなたが現れ中心部に存在確率が高ければそこに色濃くあなたが現れます。素粒子の場合存在とは確率の波のように絶えず揺らいでいる存在で、なおかつ消滅生成を繰り返している存在だと言う事です。これは素粒子の性質の一つであり現実の我々が目にするスケールのものではこのような事象はなく理解できるものではありません。

もう一つの素粒子の性質としてエネルギーや存在が飛び飛びの値をとり、決して連続の値をとることはないと言う事があります。車に例えるなら車がスピードを上げる時、我々が目にする現実の光景は車が徐々にスピードを増して、やがて時速100キロメートルになったとします。この車を素粒子に例えますと、車に時速50キロメートルになるエネルギーを与えますと時間ゼロ秒で瞬間的に時速50キロメートルで走り出します。更に時速100キロメートルになるエネルギーを与えますと瞬間的に車は時速100キロメートルになっています。あなたが山登りをするとします。素粒子の世界では徐々に頂上に向かって登っていく様子は全くありません。ちょうどよいエネルギーを得られれば途中は全く存在せず瞬間的にあなたは頂上にいます。時間ゼロ秒で登山したことになります。この場合与えられるエネルギーも飛び飛びのエネルギー以外存在しません。これらの事は我々が目にする現実のスケールでは起こりえません。宇宙にしても素粒子にしても人が認識できるスケールでは理解が難しい世界です。

意識は人が理解認識できる現象で説明することは出来ません。それは意識がこのように人には理解しがたい宇宙原理によって作りだされ、理解しがたい素粒子の働きで生まれている事です。

意識が生まれる機械を人は作る事が出来ていません。意識を生み出す機械を作るには部品一つの大きさが素粒子の不思議な挙動が現れる原子や分子レベルである必要があります。それらが数多く集合して自然にシステム化され自分と同じものを作り出そうとする合目的で統一された反応になる事が必要です。このとき意識は生まれているはずです。

 

意識とは元々宇宙自体に存在し、宇宙自体が意識の生じる場であり、別々に見える意識も実は宇宙意識自体に帰属する一体のもので個々の意識は、意識が生じる場となる様々な生命体と言う物質を介して、生まれては消滅を繰り返しながら変化し続けています。人が夜空を見上げて悠久の宇宙を感じとれるのは、元来意識とは脳を場として生まれてはいるのですが、人の意識も元々宇宙に帰属するものだからと考えるべきです。

すべての意識は別々のようで、根源的には宇宙意識から生まれて宇宙意識に帰っていく一つの存在です。生命体と言う機械を通して個別に表現されているだけで、他の存在と相互作用が密になった場合その間には新しい意識が生まれているはずです。

現実の生物の世界でも、プラナリアのように、一つの生命体を二つにしてそれぞれの意識を持った個体を作ったり、細胞性粘菌のように元々は単細胞で生きているのに、住む環境が悪化した時には、沢山の粘菌が集合してナメクジのような一つの生命体として活動を始めるものもいます。人の受精卵が4分割した時にバラバラに引き離し育てれば4人の人格を持った4つ児が生まれてきます。この様に生命の世界では個の意識は絶対的なものではありません。人はついつい個の意識にこだわりますが、宇宙という大海ですべての生命は一つと考えてよさそうです。人の意識は小さいようですが、脳が生み出す事が出来る天文学的な情報量を考えれば、宇宙でも最大の意識と言えるかもしれません。

無から広大無限の宇宙が生まれたように、大きいか小さいかの尺度は我々が目にできる世界の認識上の事で、宇宙と物質の根源にはあてはまりません。それが必然的に生み出す生命と意識というものも同じような人の理解を超えた性質を持つものと考えられます。その意味では意識は宇宙そのものであり宇宙の意識を大海に例えるならば、大海に生じた小さな泡のようなものが我々の生命に宿る意識で、どちらが大きい小さいと言う事もなく、宇宙という大海と共にあり生まれたり消滅したりを永遠に繰り返してとどまることなく絶えず変化し続けている存在だと考えられます。

 

 


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